はじめに
「SAPの画面 = 灰色で古臭いSAP GUI」というイメージは、もう古いものです。S/4HANA時代の標準UIは Fiori(フィオリ)と呼ばれる、モダンで直感的なWebベースのインタフェースに置き換わっています。プロジェクトで「Fiori化」「Fiori Launchpadに集約」という話が出たときに、「それって結局何をする話なの?」と聞き返さずに済むだけの基礎理解を、この記事で一気に固めましょう。
Fioriを学ぶことが実務に効くのは、S/4HANAの新機能はほぼすべてFiori前提で設計されており、GUI画面からの移行を避けて通ると標準機能を使い切れないからです。逆に、Fioriの考え方を理解していれば、要件定義で「この画面は標準Fioriアプリでいけますね」と即答できますし、カスタマイズの必要性判断も速くなります。
この記事では以下の3点を軸に、Fioriの全体像を整理します。
- Fioriとは何か — SAPが掲げるUXデザインシステムの位置づけ
- UX5原則 — Fioriを特徴づける設計思想
- アプリタイプとテーマの変遷 — 現場で遭遇する用語を正しく区別する
SAP Fioriとは何か
一言で言うと
SAP Fioriは、SAPが2013年に発表した ユーザーエクスペリエンス(UX)デザインシステム です。単なる画面テンプレートではなく、「SAPのアプリはこう見えるべき・こう動くべき」という設計思想・ガイドライン・ランタイム・開発フレームワークの総称を指します。
重要なのは、Fioriは「特定の製品名ではない」という点です。たとえば以下のすべては「Fioriアプリ」と呼ばれます。
- S/4HANA標準同梱のFioriアプリ(ME21Nの後継の発注アプリなど)
- SuccessFactorsやAribaのFioriライクな画面
- SAP BTP上で自作したUI5ベースのカスタムアプリ
- SAP Build Appsで作ったノーコードアプリ
これらはすべて「SAP Fiori Design Guidelines」に従い、同じUX原則を共有することで、利用者に「どのSAP製品も同じ感覚で使える」という一貫した体験を提供することを狙っています。
なぜFioriが生まれたのか
背景にあったのは、従来のSAP GUIが抱えていた課題です。
- 画面が複雑で、1つの業務をこなすのに多数のフィールドを扱う必要があった
- 役割ごとに必要な機能を切り出す思想が弱く、「権限があれば全部見える」状態だった
- デスクトップ専用で、モバイルやタブレット対応が困難だった
- デザインの一貫性がなく、モジュール間で操作感が揃っていなかった
2010年代にコンシューマー向けアプリ(iPhone、Google、Facebookなど)が洗練されていく中で、業務アプリのUXも同レベルを求められるようになり、SAPはこれに応える形でFioriを立ち上げました。
Fiori UX5原則
Fioriの設計思想を最もコンパクトに表現したのが、5つのキーワード「Role-based / Adaptive / Coherent / Simple / Delightful」です。現場でUI設計を議論するときに共通言語になるので覚えておく価値があります。
1. Role-based(役割ベース)
利用者の役割(購買担当者・経理担当者・営業マネージャーなど)ごとに、必要な機能だけを切り出して提供します。従来のGUIのように「Tコード一覧からメニューを辿る」のではなく、「自分のロールに紐づいたアプリがLaunchpadのタイルとして並ぶ」という体験に変わります。
why so:業務ユーザーは自分の担当業務以外を使う必要がないからです。so what:カタログ設計・ロール設計が標準業務に沿って組まれていれば、ユーザーは迷わずに必要なアプリに到達できます。
2. Adaptive(適応的)
デスクトップ・タブレット・スマートフォン、どのデバイスでも同じアプリが動作するように、レスポンシブデザインで設計されています。SAPUI5フレームワークがデバイス判定と画面レイアウト調整を自動で行ってくれます。
why so:現場担当者・営業・経営層がそれぞれ異なるデバイスでSAPにアクセスするようになったからです。so what:カスタムアプリを作るときも、スマホでの表示を意識した画面設計が標準前提になります。
3. Coherent(一貫性)
どのFioriアプリを開いても、ナビゲーションの位置、ボタンの配置、色遣い、アイコンの意味が揃っています。これによって、新しいアプリを使うたびに操作を学び直す負担を最小化しています。
why so:ユーザーの学習コスト削減がSAP導入の成否を左右するからです。so what:カスタムアプリを作るときも、Fiori Design Guidelinesに従って標準パーツを使うことが強く推奨されます。独自デザインに走ると一貫性が崩れ、ユーザーの混乱を招きます。
4. Simple(シンプル)
1画面1タスクを原則とし、1つのアプリが扱う機能を極力絞ります。これにより、画面は必要最小限の情報だけを表示し、複雑な設定は上級ユーザー向けに隠す(プログレッシブディスクロージャ)という設計が標準です。
why so:情報過多はミスと処理時間の増加を招くからです。so what:従来のGUIトランザクションが1画面で30タブあったとしても、Fiori化すると「発注作成」「発注承認」「発注照会」のように業務単位で複数アプリに分割されます。
5. Delightful(魅力的)
使っていて気持ちよい、という感覚的な体験も重視されています。アニメーション、適切なフィードバック、明快なエラーメッセージといった細かい配慮が積み重なっています。
Fioriアプリの3タイプ
Fioriアプリは目的によって3つのタイプに大きく分類されます。現場でスコープ定義や要件整理をするときにこの分類を押さえておくと、必要なアプリの特性を正しく把握できます。
1. Transactional(業務処理系)
発注入力、在庫移動、請求書照合など、業務データを作成・更新・承認するタイプのアプリです。従来のSAP GUIトランザクションの置き換えに相当します。裏側ではODataサービスを経由してS/4HANAのBAPIやCDSに書き込みを行います。
例:購買発注の承認、販売オーダー登録、経費精算入力。
2. Analytical(分析系)
KPIや集計データをダッシュボード形式で可視化するアプリです。トレンド、実績比較、ドリルダウン分析などを提供します。裏側ではHANAのインメモリ計算やCDSビュー、Smart Business KPIが使われています。
例:売上サマリダッシュボード、在庫回転率モニタ、支払期日分析。
3. Fact Sheet(ファクトシート)
ある特定のビジネスオブジェクト(顧客、材料、発注書など)の全体像を1画面で表示するアプリです。関連情報(関連する取引、担当者、履歴)へのナビゲーション起点になります。
例:顧客360度ビュー、材料マスタファクトシート、発注書詳細。
どれを選ぶべきか
目的で決まります。操作して値を入れるならTransactional、傾向を見るならAnalytical、対象を調べるならFact Sheetです。Fiori Elementsという開発フレームワーク(詳しくはFiori Elements全体像)では、この3タイプに対応した画面テンプレートが用意されています。
Fioriアーキテクチャの全体像
flowchart LR U["利用者
PC/タブレット/スマホ"] --> FLP["Fiori Launchpad"] FLP --> APP["Fioriアプリ
UI5/Fiori Elements"] APP --> OD["OData サービス"] OD --> CDS["CDSビュー"] CDS --> DB[("S/4HANA
データベース")] FLP -.-> AUTH["PFCG
ロール/権限"]
ユーザーはFiori Launchpadにログインし、自分のロールに紐づいたタイル(アプリ)を起動します。アプリはUI5で書かれており、OData経由でS/4HANAのCDSビューからデータを取得・更新します。権限制御は従来通りPFCGロールで行われ、Launchpadが表示するタイルもこの権限に連動します。
ODataの詳細はOData入門、CDSビューはCDSビュー基礎も併せて読むと理解が深まります。
Fiori 2.0 / 3.0 / Horizonテーマの変遷
Fioriには「バージョン」的な概念があり、現場で世代名を耳にすることがあります。混同すると会話が噛み合わないので整理しておきます。
Fiori 1.0(2013年〜)
最初のリリース。役割ベースの概念を打ち出したが、Launchpadの完成度は高くなく、タイルからアプリを起動してブラウザバックで戻る、という程度の体験でした。
Fiori 2.0(2016年〜)
グローバルナビゲーション(画面上部のShellbar)、通知センター、Me Area(ユーザー設定)が導入され、「一度Launchpadに入ったら複数アプリを横断して使う」という体験が確立されました。S/4HANA初期バージョンはこのFiori 2.0が標準でした。
Fiori 3.0(2019年〜)
「Quartzテーマ」と呼ばれる新デザインが導入され、角丸・柔らかい色使い・ダークモード対応などが進化しました。S/4HANA 1909以降のデフォルトテーマはこれになっています。
Horizonテーマ(2022年〜)
Fiori 3.0に続く最新デザイン。より明るく読みやすい配色、情報密度の最適化、アクセシビリティ強化が特徴です。S/4HANA 2022以降の新規テナントではデフォルトがHorizonになっており、プロジェクトで「Horizonで揃えるかQuartzのままにするか」という議論が発生することがあります。
現場で遭遇する問い
「Horizonに切り替えてくれと言われた」→ Launchpadの設定でテーマを切り替えるだけなので、技術的には難易度は高くありません。ただしエンドユーザーへの変更周知や研修資料の更新が必要になります。
Fiori App Libraryの使い方
SAPが提供している標準Fioriアプリは1万本を超えます。これを検索するための公式カタログが Fiori Apps Reference Library です。
ここで調べられること:
- アプリ名・業務領域・ロール別の一覧
- 各アプリの前提S/4HANAバージョン
- 使用しているODataサービス・CDSビュー
- 必要なPFCGロール・ビジネスカタログ
- 関連するFiori ID(F1234のような番号)
プロジェクトで「この業務をFioriで実現するなら、どのアプリを使うべきか」を調べるときの第一の入口です。詳しくはSAP公式ドキュメント完全ガイドにも関連情報を載せています。
よくある疑問
Q. SAP GUIは消えるのですか?
A. S/4HANA Cloud Public Editionでは実質的に廃止され、Fiori一択です。S/4HANA Cloud Private EditionやOn-Premiseでは引き続きGUIは使えますが、SAPは新機能をGUIには追加しない方針を明確にしており、戦略的にFiori化を進めるのが正解です。
Q. Fioriアプリを使うにはBTPが必要?
A. 必須ではありません。S/4HANA On-PremiseやPrivate Editionでは、S/4HANA自身がFiori Launchpadをホストできます(Embedded Deploymentと呼ばれます)。BTPが必要になるのは、外部サイトからのアクセス集約やマルチシステム統合Launchpad(Work Zone)を使うケースです。
Q. SAP GUI for HTMLとFioriの違いは?
A. 別物です。GUI for HTMLは「従来のGUI画面をブラウザで表示しているだけ」で、見た目も操作感もGUIそのものです。Fioriは完全に新しいUX思想で設計されたWebアプリであり、GUIトランザクションの見た目をブラウザに持ち込んでいるわけではありません。
Q. 既存のカスタムGUIトランザクションもFiori化できますか?
A. 可能ですが、単純な変換ではありません。業務要件を見直し、Fiori的な「1画面1タスク」に分解した上でUI5アプリとして再実装するのが標準的なアプローチです。SAP Screen Personas、WebGUI、Fiori化の3段階で考えると判断しやすくなります。
まとめ
- SAP FioriはSAP全製品で共通のUXデザインシステムであり、特定の製品名ではない
- UX5原則(Role-based / Adaptive / Coherent / Simple / Delightful)が設計の基盤
- アプリタイプはTransactional・Analytical・Fact Sheetの3種に大別される
- Fiori 2.0 → 3.0 → Horizonテーマと進化しており、S/4HANA 2022以降はHorizonがデフォルト
- 標準アプリのカタログはFiori Apps Reference Libraryで検索できる
- カスタムアプリを作るときもFiori Design Guidelinesに従うことが一貫性の鍵
Fioriを理解しておくと、S/4HANAプロジェクトでの要件定義・設計議論が一段スムーズになります。次はFiori Design Guidelinesの読み方で、具体的な設計ガイドの使い方を見ていきましょう。
Fioriの概念を理解した後は、実際に手を動かして学ぶのが定着の近道です。UI5アプリの構築からBTPへのデプロイまで、約15時間のハンズオン形式で一気に実装力がつきます。