はじめに:RISE with SAPとは何か、なぜ登場したか
RISE with SAPとは、SAPが2021年に提供を開始した、S/4HANA Cloudへの移行をSAPが一括サポートするバンドルパッケージです。業務システム本体からクラウドインフラ、プロセス可視化ツール、変革支援サービスまでを1つの契約にまとめ、「クラウドERPへの移行をワンストップで実現する」ことを目的としています。
なぜRISE with SAPが登場したのか(why so):SAPのメインプロダクトである旧版のSAP ECC(ERP Central Component)は、2027年にメインストリームサポートが終了します(延長サポートは2030年まで)。このデッドラインを前に、多くの既存ユーザーはS/4HANAへの移行を迫られています。しかし従来の移行プロジェクトは「何から始めればよいかわからない」「インフラ選定、ライセンス、導入支援を別々に調達しなければならない」という複雑さが障壁になっていました。RISEはこの複雑さを解消するために設計されたパッケージです。
読者への示唆(so what):RISE with SAPは「製品」ではなく「移行プログラム」です。契約すればすぐに移行が完了するわけではなく、あくまで移行に必要なコンポーネントと支援をSAPが束ねて提供する形です。RISE with SAPを正しく理解するには、その構成要素と、自社の状況への適合度を個別に評価することが不可欠です。
RISE with SAPの5つの構成要素
RISE with SAPは、以下の5つの要素をひとつの契約として提供します。
| 構成要素 | 内容 | 役割 |
|---|---|---|
| S/4HANA Cloud(Private Edition) | クラウド上で動作するSAPのERP本体 | 業務システムの中核。ハイパースケーラー(AWS/Azure/GCP)上の専有環境で稼働 |
| SAP BTP(Business Technology Platform) | 統合・拡張・分析・自動化のためのクラウドプラットフォーム | コアの外側で拡張開発やインテグレーションを担う基盤 |
| SAP Signavio | プロセスマイニング・業務可視化ツール | 現状業務のボトルネックを可視化し、移行後の改善に活用 |
| SAP Business Network | サプライチェーン連携ネットワーク(旧Ariba Network等を統合) | 仕入先・物流会社との電子的な取引連携を実現 |
| ビジネス変革サービス | SAPによる移行支援・ロードマップ策定・変革コンサルティング | 技術移行だけでなく業務変革まで含めたSAP主導のサポート |
なぜこの5要素なのか(why so):クラウドERPへの移行が難しい理由のひとつは、「システム移行」と「業務改革」が別々に走ることで生まれる齟齬です。RISE with SAPは、システム(S/4HANA Cloud + BTP)、業務の可視化(Signavio)、外部連携(Business Network)、変革支援(サービス)を一体提供することで、この齟齬を防ぐ設計になっています。
読者への示唆(so what):5要素すべてを最大限活用する必要はありません。特にSAP Signavioは移行前の現状分析フェーズで威力を発揮しますが、それ以降は利用頻度が下がるケースもあります。契約前に「自社がどの要素を本当に必要とするか」を精査することが重要です。
従来の導入方法との比較
RISE with SAPの登場以前は、S/4HANA導入のための各要素を個別に調達・調整するのが一般的でした。
flowchart LR
subgraph 従来型
A[ハイパースケーラー選定] --> B[SAP S/4HANAライセンス取得]
B --> C[SIパートナーとの導入契約]
C --> D[BTP別途契約]
D --> E[Go-Live]
end
subgraph RISE with SAP
R1[SAP単一契約] --> R2[S/4HANA Cloud + BTP + Signavio etc.]
R2 --> R3[SAPのサポートでGo-Live]
end| 比較軸 | 従来型導入 | RISE with SAP |
|---|---|---|
| 契約窓口 | ハイパースケーラー・SAPライセンス・SIパートナーを個別に契約 | SAP1社との単一契約 |
| インフラ責任 | 顧客またはSIパートナー | SAPが管理(ハイパースケーラーはSAPが選定・運用) |
| サポート体制 | パートナー主導、SAPは間接的なサポート | SAPが直接的な移行サポートを提供 |
| BTP利用 | 別途契約・調達が必要 | パッケージに含まれる(一定枠) |
| コスト構造 | CAPEX(初期費用)+OPEX | OPEXベース(サブスクリプション型) |
| 柔軟性 | 構成の自由度が高い | SAPの標準構成に沿う必要がある |
RISE with SAPの最大のメリットは「責任の所在が明確になること」です。従来型では問題が起きた際に「どこに連絡するか」が複雑でしたが、RISEではSAPが窓口を一本化します。ただしその分、構成の自由度や交渉余地は狭まります。
GROW with SAPとの違い
RISE with SAPと混同されやすいのが、GROW with SAPです。両者はともにSAPのクラウド移行プログラムですが、対象顧客と採用製品が異なります。
| 比較軸 | RISE with SAP | GROW with SAP |
|---|---|---|
| 対象企業規模 | 中堅〜大企業(既存ECCユーザー含む) | 中堅・中小企業(新規導入が多い) |
| 採用製品 | S/4HANA Cloud Private Edition | S/4HANA Cloud Public Edition |
| カスタマイズ | 一定のカスタマイズが可能 | SAP標準プロセスへの準拠が原則 |
| アップグレード | 顧客が適用タイミングを選択可能 | 年2回の強制適用 |
| 移行元 | ECCからの移行(Brownfield/Bluefield)を想定 | 新規構築(Greenfield)を想定 |
| 導入期間目安 | 12〜24ヶ月 | 3〜9ヶ月 |
| 価格帯 | 高め(専有環境のため) | 低め(マルチテナントのため) |
なぜ2つに分かれているのか(why so):SAPが取り込もうとしている顧客層が根本的に異なります。RISE with SAPは「長年使ってきたSAP ECCの資産を引き継ぎながら、クラウドに移行したい大企業」向けです。一方GROWは「SAP標準プロセスをそのまま受け入れる代わりに、素早くシステムを立ち上げたい中堅・中小企業」向けです。
読者への示唆(so what):GROWで採用されるPublic Editionの特徴はS/4HANA Cloud Public vs Private 徹底比較で詳しく解説しています。規模や移行元の状況によってどちらが適切かは大きく変わるため、まず自社のプロファイルを整理することが先決です。
向いている企業・向かない企業
RISE with SAPが向いている企業
- ECC(旧SAP)からの移行を検討している企業:既存のカスタマイズや業務プロセス資産を一定程度活かしながらクラウドに移行したいケース
- 調達の複雑さを減らしたい企業:インフラ・ライセンス・サポートを一本化し、IT部門の管理コストを削減したい場合
- SAPとの直接的なサポート関係を重視する企業:大規模な移行プロジェクトでSAPの知見を直接活用したい場合
- Clean Coreへの移行を段階的に進めたい企業:既存のアドオンをBTPへ再配置しながら、徐々にコアを標準化していきたい場合
RISE with SAPが向かない企業
- ECC資産がほぼなく、新規でSAPを導入する中堅・中小企業:この場合はGROW with SAPの方が適合度が高く、コストも低くなる可能性が高い
- マルチベンダー構成で柔軟性を保ちたい企業:RISEはSAPとの単一契約が前提であり、特定のハイパースケーラーを選びたい・既存のSIパートナーとの関係を最大化したいという場合は制約を感じることがある
- 業界特化の深いカスタマイズが不可欠な企業:Clean Coreの思想と相容れない大量アドオンを維持し続けたい場合、RISEのロードマップとの摩擦が生じる
「RISE with SAPを選ぶ」は終着点ではなく出発点です。RISEを選んだ後に何を目指すのか——Clean Coreへの移行、BTPを活用した業務自動化、グローバル展開——を先に描いておくことが、契約後のプロジェクト成功率を高めます。
費用・契約モデルの概要
RISE with SAPはサブスクリプション型の料金モデルを採用しています。公開価格は存在せず、企業規模・ユーザー数・スコープ・契約期間によって個別見積もりとなります。ただし、以下の構造的特徴は把握しておく必要があります。
| 項目 | 概要 |
|---|---|
| 課金モデル | FUE(Full User Equivalent)ベースのサブスクリプション。ユーザー種別(Advanced User / Core User / Self-Service User)によって単価が異なる |
| 契約期間 | 通常3〜5年の複数年契約が標準。短期契約は割高になる傾向 |
| 含まれるもの | S/4HANA Cloud Private Edition、一定枠のSAP BTP、Signavio、Business Networkアクセス、ビジネス変革サービスの初期分 |
| 別途費用が発生しやすい項目 | BTPのクレジット超過分、Signavioの上位ライセンス、導入パートナーへの支払い(SIパートナーの工数はRISEに含まれない) |
| TCO比較の注意点 | オンプレミスとのTCO比較では、インフラ運用コスト・アップグレードコスト・人件費を含めた5〜10年スパンの試算が必要 |
なぜ複数年契約が前提なのか(why so):クラウドERPへの移行は短期で完了するものではなく、移行後も継続的なアップグレードと改善が発生します。SAPとしても、顧客との長期的な関係を前提にサポートリソースを配置するため、複数年契約がビジネスモデルの基本になっています。
読者への示唆(so what):費用交渉においては「何がパッケージに含まれ、何が含まれないか」の線引きを最初に明確化することが重要です。後から追加費用が発生するケースの多くは、この線引きが曖昧なまま契約を締結したことに起因しています。
RISE with SAP導入のステップ
RISE with SAPの契約後、実際の移行プロジェクトはSAP Activate方法論に沿って進みます。
flowchart LR
subgraph 契約前
A[業務変革ビジョン策定] --> B[現状分析・Signavio活用]
B --> C[RISE契約・スコープ確定]
end
subgraph SAP Activate
D[Discover / Prepare] --> E[Explore / Realize]
E --> F[Deploy / Go-Live]
end
subgraph 運用
G[Run・ハイパーケア] --> H[継続改善・BTP拡張]
end
C --> D
F --> G| フェーズ | 主なアクティビティ | RISE固有のポイント |
|---|---|---|
| 業務変革ビジョン策定 | 移行の目的・ゴール・KPIを定義 | 「なぜクラウドに移行するか」の経営合意が必須 |
| 現状分析 | Signavioでプロセスマイニングを実施し、現状のボトルネックを可視化 | RISE契約前でもSignavioを先行利用するケースがある |
| RISE契約・スコープ確定 | ユーザー数・スコープ・契約期間の確定 | ここで5要素のうち何をどう使うかを確定する |
| Discover / Prepare | Fit-to-Standard分析・プロジェクト体制構築 | SAPのBusiness Transformation Servicesが参画するケースが多い |
| Explore / Realize | 業務要件の確定・設定・テスト | Clean Coreの観点でアドオン整理とBTP再配置を同時進行 |
| Deploy / Go-Live | データ移行・エンドユーザー教育・本番切替 | RISEではインフラ切替もSAPが主導 |
| Run / 継続改善 | ハイパーケア・年次アップグレード・BTP拡張 | 四半期ごとの改善サイクルが標準化される |
Clean Core戦略とSAP BTPの活用は、RISE with SAPプロジェクトの中長期的な成功を左右するテーマです。移行プロジェクトの計画段階からこれらの観点を組み込んでおくことで、Go-Live後の拡張コストを大幅に削減できます。
よくある疑問(FAQ)
Q1. RISE with SAPを契約すれば、SIパートナーは不要になりますか?
いいえ。 RISE with SAPにはSAPによるビジネス変革サービスが含まれていますが、これは導入全工程をカバーするものではありません。実際のシステム設定・業務要件の整理・エンドユーザー教育・データ移行などは、引き続きSIパートナー(アクセンチュア、デロイト、NTTデータ等)との契約が必要です。RISEはあくまで「製品とインフラのバンドル」であり、導入工数まで含むものではない点を明確に理解しておく必要があります。
Q2. 既存のECCのアドオンはRISEに移行しても使えますか?
そのままでは使えないケースが多くなります。 S/4HANA Cloud Private Editionへ移行する際には、既存のABAPアドオンをClean Coreの考え方に沿って棚卸しし、引き続き必要なものはSAP BTP側に再実装することが推奨されます。「アドオンをそのまま持ち越す」ことは技術的には可能な場合もありますが、将来のアップグレードコストが増大するリスクがあります。
Q3. RISE with SAPはいつ頃契約するのが適切ですか?
業務変革のビジョンと移行スコープが明確になってからが理想です。RISE with SAPは複数年の長期契約が前提であり、スコープが不明確なまま契約すると「使わない機能にも費用が発生している」状態になります。まずSignavioによる現状分析や、Fit-to-Standardの事前ワークショップで移行の見通しを立ててから契約交渉に臨むことを推奨します。SAP Activateの各フェーズについてはSAP Activate方法論の解説記事も参考にしてください。
まとめ
- RISE with SAPは、S/4HANA Cloud Private Editionを中核とした移行バンドルパッケージ。2021年にSAPが提供開始
- 5つの構成要素:S/4HANA Cloud、SAP BTP、SAP Signavio、SAP Business Network、ビジネス変革サービス
- 従来型導入との最大の違いは責任の一本化。インフラ・ライセンス・サポートをSAP単一契約にまとめることで調達の複雑さを解消する
- GROW with SAPは中堅・中小企業向けのPublic Editionを使ったパッケージ。移行元資産が少ない・標準プロセスへの準拠を重視する企業はGROWが適している
- 向いている企業:ECC移行を検討中、調達窓口を一本化したい、SAPの直接サポートを重視する企業
- 向かない企業:ECC資産がなく新規でSAPを導入する中堅・中小企業、柔軟なマルチベンダー構成を維持したい企業
- 費用モデルはFUEベースのサブスクリプション型。複数年契約が標準で、「含まれる範囲」の事前確認が重要
- 導入プロセスはSAP Activate方法論に従い、Clean CoreとBTP活用を最初から組み込むことが長期TCO削減の鍵
RISE with SAPの構成要素を理解した上で、S/4HANAとECCの具体的な差分を操作画面レベルで押さえておくと、移行判断の精度が上がります。約2時間で新旧の違いを一通り確認できるUdemy講座が参考になります。
なお、2027年問題の移行ピーク後、SAP人材の需要・キャリアがどう変化していくかについては2027年問題の「その後」― S/4HANA移行ピーク後にSAP人材はどうなるかで分析しています。RISE with SAPで導入した先のキャリア戦略を考える際にあわせて参照してください。